関浩二のブログ「家いろいろ」

2012.3.10 NO.1
 

2012.3.10 その1

 

翌朝、私は6時前に起床しました。

高橋さんと一緒に出掛け、なんでもお手伝いできるようにと準備をしていました。

でも、なかなか起きてきません。当然です。前夜遅くまでお酒を付き合ってもらい、相当な量飲んでます。

 高橋さんへの電話で起床されました。新潟の佐渡島より応援に駆け付けてくれていた後藤さんが、雄勝入りし、設営場所の確認をされたのです。

遅くまで一緒に付き合ってくれたお母さんが朝ごはんを準備してくれました。


 

 730 頼雄さんと会場に出発しました。

現地に着くと、すでにレッカー車が設置されています。

観光バスも1台来ていました。東京よりボランティアのチームが20名ほど来ていたのです。

東北放送のTV局も中継車で来ています。

 

後藤さんの炊き出しの場所にテントをボランティアの方々が設営し、私は頼雄さんと「復興支援Tシャツ」で東京から提供された軽トラックに乗り太鼓の道具を雄勝支所へ取りに行きました。


 

9時近くなり一段落していたので、息子達を迎えに行きました。

粉雪とみぞれが混じる天気です。後藤さんの炊き出しの焼き鳥の火にあたりながら息子たちはバスを降ろす準備を見守ります。

 

10時、大型クレーンがバスをゆっくりと上昇させました。

TV局も一斉に撮影やリポートを開始します。吊り上げられたバスはゆっくりと移動を開始し、5分後には地上に降ろされました。


 その後、頼雄さんの同年の神山さん率いる雄勝太鼓が始まりました。寒い中、撮影のため半袖です。

一番大きな太鼓は、震災によるガレキから造られた太鼓で本日初披露でした。

 

冷え切った体を後藤さんの炊き出しの「えび汁」が心まで温めてくれました。



 

後片付けはボランティアの方に任せ、寒がっている息子達を乗せて、仮設商店街「店こ屋」に向かいました。

昼食用に持参した食料があったのですが、せっかくなので軽くお刺身を頂きにお店に入りました。


「店こ屋」では、復興活動に来ている土木関係者をはじめ、昼食が食べれるような定食屋さんや日常品販売のお店、八百屋さん、お土産屋さんなどが入居されています。

隣の建物には、小松葬儀屋さん、雄勝硯協同組合、商工会なども入居しています。


最盛期の人口は
1万人。震災前は4000人。そして今では1000人。高齢者の方が多いため巡回バスが動いていますが、土日祝日は休業のようです。

子供を持つ家庭は、通学できる地区の仮設住宅やアパートを借りて生活しており、学校が再開出来ない雄勝地区には未就学児が少しいるだけという状況なのです。
| がんばろう東日本! | 08:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2012.3.9
 

「2012.3.9」

 

 3/9 1845の飛行機にて仙台に向かうチケットを準備。

今日は亡き父の誕生日でもあったので、午前中に仕事の合間をぬって墓参りに行きました。

今回は、父の誕生日に仙台入りです。(前回は娘、前々回は息子の誕生日でした。)

 

前夜から高熱で寝込んでいる妻。私たちに心配をかけさせないようにと実家の両親を手伝い(看病)に呼んでいました。

 15時帰宅。荷物の準備に取り掛かります。今回は何も支援物資で持っていくものが無かったので、着替えのみです。ただ、何を頼まれても手伝えるようにと雨合羽と作業着も詰め込みました。


 
17時 息子の学校へ迎えに行きました。直接空港へ連れて行くようにしていたのですが、祖父母からの卒業祝いのお礼もあったので、一旦自宅へ戻りました。数珠も忘れていたので持参できました。


 
1745 出発1時間前に空港到着。満席で離れ離れの座席でしたが、最後列で隣同士に手配してもらえ一安心。仙台に持っていくお土産を購入。なぜか息子の好物(赤福餅と山ちゃんの手羽先)飛騨のぶたまんで軽い軽食。


15
分程度出発が遅れ、2030くらいに荷物を受け取り到着ロビーへ。

大久保さんと甥っ子の彰良君が待ってくれていました。


彰良君は飛行機のチケットを予約後に一緒に行くことになり、大学生でもあるため新幹線で仙台に入り、仙台空港で合流するようにしていました。


大久保さんが予約を入れてくれたレンタカー屋さんへ移動。ナビ付の軽自動車です。当然スタッドレスタイヤ。


 大久保さんの先導で、名取の「利久」へ。久しぶりに牛タンを堪能。


その後、インターまでの道案内のはずだったのですが、高速の工事区間があり、高速を降り松島icまで下道を案内してくれて別れました。


 一路、石巻市雄勝に向け走ります。雪も降り、暗い中びくびくしながらの走行です。

河北icより高速を降り、雄勝へ向け下道です。23時をまわり、地元の人の車もあまり走っていない中で、ナビを頼りに進みます。

前回(10/30)に来ているので、何となくの土地勘はよみがえりました。


 
2340 ついに高橋頼雄さんの住む森林公園の仮設住宅に到着です。

仮設にお邪魔すると、小松さんと高橋さんのお母さんが迎えてくれました。



12
時より乾杯です。

震災当時の話を聞かせてくれました。子供達にも記憶に残る話だったと思います。

翌朝が6時に家を出る予定だった高橋さんですが、遅くまで付き合ってくれました。


26
時就寝です。

| がんばろう東日本! | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
一安心。
昨日( 3,5) 宿泊を予定していた仙台の友人のビジネスホテルから満室のため部屋が取れないと連絡がありました。

いろいろと他のホテルもあたってくれたのですが、どこも満室のようです。

2日目にお願いしていた、石巻雄勝の友人に連絡したところ心良く泊まっていいよ。と言ってくれました。仮設住宅に連泊です。
これで、朝から晩までお手伝いができるようになりました。

仙台の友人クボさんが、レンタカーの予約を入れてくれました。
空港に到着し、レンタカーを借り、出来れば一緒に食事をして、石巻雄勝に向かいます。

3/10,11といろいろな所でいろいろな行事が予定されています。
仙台市では鎮魂のために花火が上がるそうです。
いろいろな方が、いろいろな思いを持って集まってきます。

自分の力のなさと、絶望感にのみ込まれた1年前。
復興のために、歯を食いしばって頑張ってきた仲間たちと共に過ごす貴重な時間になりそうです。


| がんばろう東日本! | 12:38 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
同行二人
 昨日(3/2)、息子に尋ねてみた。

「お父さんはバスを降ろすイベントのお手伝いに行くけど、行くか?サッカーの練習試合休まなんといかんけど。」

息子「フェリーじゃなかったら行く。」

私「お!・・・」

選択肢の新幹線がこの時点で消えた。
9日の夜か、10日の朝一番の飛行機。そして帰りも11日になった。

子連れとなったため、自由きままな一人旅ではなくなり、行動に制約ができたものの、これも彼の人生勉強になるに違いない。

たくましく生き抜いてきている「雄勝人」を目に焼き付かせてあげよう。

この地域に災難があったときに、臆することなく 強いリーダーシップがとれるように期待して。


PS. 9日夕方と11日夜の往復航空券確保。
| がんばろう東日本! | 07:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
大きな収穫
 今日(11/6)12時間の睡眠のおかげか、体が軽い。風邪の影響も少なさそうです。


朝、新田地区のコミュニティー祭り会場へ、娘への伝言に寄りました。今日は各地区でコミュ祭りを実施していました。

カレンダー配りはやめて、産業祭りのブース準備のために町内の坂道・通り・橋の写真撮影に出かけました。
商工会の50周年継続委員会での企画「私の好きな坂・道」の愛称を募集するために、そのスタートとゴール地点の写真撮影です。

今週中に各小学校の5・6年生に 私の手書き地図のアンケート用紙が配布されます。産業祭りで投票箱を用意しています。一般の方にも当日投票していただきます。
各地区4地点ほど、坂道・通り・橋などにネーミングしてもらいます。
優秀作を来年の商工会主催の賀詞交歓会にて、発表いたします。
応募いただいた方にも抽選で素敵な景品を予定しています。

2時すぎに神谷町長より電話をいただきました。
先日お願いしていた、石巻市雄勝の仮設商店街の復興際の必要備品リストより、提供していただけるものがあるとのこと。
生路地区の会議テーブルを新調されたそうで、古い物なら支援物資に提供してもいいと区長さんに掛け合ってくれたそうです。
また、神谷さんの会社より折りたたみのいすや丸イスも提供してもいいとのこと。

今日の19時の名古屋港出航の便で、石巻雄勝の高橋頼雄さんが帰宅するため、急いでいただきに上がりました。
頼雄さんが松坂より18時に名古屋港に着いたので、支援物資を届けにいきました。

石巻雄勝地区の11/19の仮設商店街の復興祭に向けて、人と人とが繋がり、その結果が大きな収穫となった今回の名古屋入りだったと思います。

| がんばろう東日本! | 20:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
あなただから
 昨日(11/4) 宮城県石巻市雄勝の高橋頼雄さんが、フェリーにて名古屋へ来られました。



10/31の私たちの支援物資を雄勝へ届けた際に、受け取っていただいた方です。
2代前の宮城県青連の副会長を務められた経緯もあり、すぐにいろいろな人とも繋がっていきました。
今回は、三重県松阪市で11/5・6に開かれる伝統工芸展に、雄勝硯(すずり)を展示・販売されるために来られました。

私が前回雄勝に行った際に、お土産でこの雄勝硯を買って帰ろうと思っていたのですが、雄勝では商店すべてが津波にあい、購入することが出来ませんでした。そのことを仙台の友人に話すと、頼雄さんが行く際に持って行ってもらうように手配してくれました。

雄勝は 国産硯の90%を占める産地で、伝統工芸として昔から造られています。
津波の影響で、硯を造る機械等も被害を受けました。
伝統産業を守るためにも組合で頑張ってみえます。

私の子供たちへのプレゼントとして、津波を受けても残った硯を持ってきてくれました。


硯石のキズが津波の痕跡を残しています。

夕方松坂に入るということで、名古屋ではなく東浦を案内いたしました。

先ずは、「元気の郷」です。平日の昼間でも駐車場が一杯ですごくにぎわっています。
30分程度会場を案内しました。地産地消のモデルケースです。

その後、森岡の「仁や」さんで一色うなぎのひつまぶしを食べることにしました。
ナカセ農園さんの奥様が宮城出身なので、声をかけて合流です。

うなぎが焼あがるまでの時間で、向かいにある「メモリー」さんへ行き、雄勝の仮設商店街のオープンに際し必要な備品で提供いただけるものがないか社長にお願いし、何点か提供していただけそうです。

食事の前に 頼雄さんへ今回の一番のプレゼントの話をしました。

「PRAY FOR JAPAN」 のTシャツ等の売り上げで得た 義援金のうち、100万円程度 仮設商店街の必要備品の購入に充てる用意がある。

頼雄さんは、目を見開いてびっくり!されました。

前夜、必要物資のリストをいただいたので、復興Tシャツのメンバーにメーリングリストに添付しお願いをしておいたのでした。
すぐに幹部内で話し合われ、その夜、100万円という金額の提示をしてくれました。

これは、石巻雄勝の 高橋頼雄さんのこれまでの活動のたまものだと思います。
メンバーも支援物資を届ける際に、頼雄さんと何度も会い、話をしています。
そんな 頼雄さんのためだから 即決判断してくれたのでしょう。

義援金も町の復興に役立てられて、本来の目的を果たすことが出来ると思います。

食事後、ナカセ農園さんのビニールハウスへ向かいました。
塩害にあっている土地の有効利用に水耕栽培は役に立つのかもしれません。

そして東浦町商工会へ。
会長と局長もみえ、震災後の町づくりなどの話をしました。
そのどさくさに紛れて、私が産業祭りの際に受け持つブースで、雄勝硯などの復興支援の商品を販売させてもらうお願いをちゃかりとしました。

少し時間があったので、私の会社も案内しました。

15時、「帰ってきました」と東浦町長より連絡が入ったので役場に向かいました。
神谷町長は東北の大学を出ているので、頼雄さんとも話が合いました。
ここでも、仮設商店街の必要備品のお願いをしました。
神谷町長の会社で使わなくなった備品等を提供していただけそうです。

その後、お迎えをした名古屋港へ。
16:30 頼雄さんとお別れです。

帰りは、11/6のフェリーということなので、出航前にもう一度会う予定にしています。


















| がんばろう東日本! | 11:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
冬物衣料等支援物資輸送報告
 

<まとめ>

今回が人生で4回目の宮城仙台でした。

1回目は、1617歳にかけての自転車の旅です。フェリーで帰れることで単純にゴールを仙台に決めた一人旅でした。

2回目は4年前。商工会の仙台での全国大会です。愛知の青年部に大きな決断を下した大会でもありました。

3回目は今年の6月。夏物衣料の支援物資を積込み、家族で被災地を見ました。

そして今回が4回目。冬物衣料他の物資輸送です。今回も家族で行きました。

 

商工会青年部を通し、全国に友人が出来たのが私の活動の源になっています。


宮城仙台の友人もその
1人です。

震災後の彼の日記を私のブログで転載し、現地の生の声をこの地域や私と関わる方に伝えたいという想いが50回を超えるシリーズとなりました。

また、こちらからの支援物資の受入れや視察団の同行・調整など、被災地でもありながら惜しむことなく対応していただきました。

議員団や商工会・青年部など、震災を通し愛知県から彼にお世話になった人はのべ100人以上ではないかと思います。また、東北物産展(品)などの相談にも窓口となっていただきました。


 いろいろな面で彼に頼りながらも、間違えなく彼に負担を背負わせているのではないかと心配していました。
でも、彼からは皆さんが東北の事を考えて行動してくれる事が嬉しいし、復興にも繋がると言ってくれたことで救われています。

 

 今回の私の行動は、地元だけでなくみやぎ仙台の青年部員にも火をつけたように思います。
「被災地ではあるけれど、被災者ではない。」のど元過ぎれば・・・ではないですが、宮城県内でも忘れられつつある被災者の現況。

私の物資輸送工程に合わせ、急きょワゴン車1台物資をかき集められたのでしょう。(何も言われませんでしたが。)

 

 今回の冬物衣料等の支援物資についてもいろいろと悩みました。

私も商売をしていることもあり、自立した生活をしていく過程で、被災地の商店の復興の邪魔をしていないだろうかと考えました。

 今回物資を届けた石巻雄勝地区では、11/19から仮設商店街の復興祭が予定されています。今回の支援物資の中で 碧海信用金庫さんから提供された水筒(54ヶ)は、復興祭のくじの景品に使ってもらうようにしました。


 被災者や被災地区の商店や産業が自立していくための支援がこれからは必要だと思います。そのためには被災地の商店で買い物をすることや、震災の爪痕を含めた東北観光なども有効な手段だと考えます。

 

 復興支援は、いろいろな形があります。

自分の出来る事を可能な範囲で行うこと。ボランティアだったり募金だったり。

 

一番大事なことは 被災地を忘れない事。

 

私が組織としての行動ではなく、個人で活動する理由の1つは、子供たちに見せておきたいと考えるからです。被災地であったり、親の背中だったり。

 

数年後におこるであろう東南海地震の際には、きっとリーダーとして活躍してくれると願っています。

 
1日も早く東北が復興するように これからも応援していきます。

平成23113

せきこうじ

| がんばろう東日本! | 09:30 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
冬物衣料等支援物資輸送報告
10/31
 

大川小学校を出て、雄勝地区へ向かいました。山道を通り抜け下った先が雄勝地区です。

突き当りには看板が立っていました。
「全国の皆様ありがとうございます」「おがつ ふっかつ ぜったい勝つ!!」雄勝中学校の生徒・職員による看板でした。


そこからの光景は凄いものがありました。



仙台市に近い地区ではかなり片づけが終わり、がれきの山も少なくなっていたのですが、ここの道路は片づけられていますが、被害を受けた建物がまだそのままの状態で残っています。市営住宅だったのでしょうか長屋続きの
2階建ての建物もまだ手つかずです。

海沿いの以前のメイン道路を走行しながら、雄勝支所に到着しました。

2階建てのプレハブが2棟完成間際で工事されています。



11/19
(土)に、仮設商店街の復興祭をとり行うとよりおさんから説明を受けました。

2階部分には、雄勝の名産品の雄勝すずり協会と観光協会・商工会が入ります。

現在、復興祭に間に合うように商店等に協力を要請しているようですが、人口が1/41000人となり、高齢者の多い地域での再建に商店主も出店を検討しているようです。

 

その後、仮設住宅が建設された森林組合へ向かいました。

私たちが到着時に、すでに宅配のトラックが1台ありました。どこからかの支援物資の配布があったようで、仮設住宅に住む方々が手に袋をさげて戻っていきます。

急きょ、別の水原地区の仮設住宅に向かうことになりました。車で10分程度、こちも小高い丘の上に6棟仮設住宅が並んでいます。

仙台の青年部のハイエースの荷物をバケツリレーのように手渡しで降ろしました。仮置き場の集会場にみるみる間に段ボウル箱の山ができます。

続いて私の車からの荷卸しです。圧縮袋の荷物はかなりの重量があります。

全てを降ろし終えた後に、礼服とモーニングの件を相談しました。

そしたら「だれかが結婚すればええな〜」と明るく答えてくれました。「復興祭でよりおさんが着てください。」と私からもお願いしておきました。

十分すぎる量の物資が届いたのですが、あまったら他の仮設に持っていくから大丈夫だよ。復興祭のフリーマーケットでも使うからと言っていただけたので、気持ちも少し軽くなりました。高齢者向けの衣類を中心に集めていたのですが、子供服も混じってありました。おばあさんから、今まで子供の服がなくて困っていた。あ〜良かった〜。と言われた時、被災地の細かい要望まで届いていないことを痛感しました。

 ナカセ農園さんから提供していただいたミニトマト5箱にナカセさんの奥様の写真をつけて手渡しました。帰宅後ナカセさんへお礼の報告に伺うと、この仮設住宅にも知り合いがいたようでした。元気になるミニトマト。みなさん喜んでくれたと思います。

 最後に、よりおさんからお礼のあいさつがありました。お茶でも飲んでってもらいたいのだけど・・・。
逆に気をつかわせてしまい申し訳ございませんでした。


12時ちょうどに仮設住宅を出発しました。ナビで自宅に帰るとルート検索をすると798km 到着予定時間 2345と表示されました。
今日中の帰宅が目標になりました。


行きに合流した道の駅に立ち寄り、昼食とお土産を購入し、ガソリンも満タンにしました。

ここからは、ひたすら走るのみです。

18時東京に入りました。予想通り首都高で渋滞です。1時間以上かかり通過。

20時蛯名SAで夕食です。同行した加藤君に電話すると、すでに帰宅していました。

こちらは残り300km やんなりましたが、文句も言ってられません。女房と交代しつつひたすら東名高速をひた走ります。


前回の
6月の時は、土日高速1000円の最終日と重なり大渋滞を経験しました。今回は渋滞もなく走れたのですが、前回よりも100km以上余分に走っています。

日も短く疲れも出てきます。子供達もおとなしく寝ていてくれたのが救いでした。

2450 やっと東浦IC到着。料金所で窓を開けると牛の匂い。あ〜東浦に帰ってきたんだ〜と不思議な実感。

前回は、仙台からの経路が書かれた紙を料金所で渡したので、係の人の「お疲れ様でした」の一言がすごく嬉しかったのですが、今回は事務的に「はい、どうぞ」と ちょっとガックリでした。


地震には
2回遭いましたが、事故もなく、けがもなく無事25時帰宅です。

まとめに続く
| がんばろう東日本! | 19:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
冬物衣料等支援物資輸送報告
10/30〜10/31
 

友人のお迎え車に、東郷の加藤君と共に乗り込み、みやぎ仙台商工会の青年部さんの経営する炉端焼きのお店へ。
ここで友人の家族と合流です。後にさとや旅館の佐藤さん、現副部長さんも合流です。ちなみに「炉端焼き」は仙台が発祥の地だそうです。

 家族と別れ、男同士で2次会へ。日曜日の夜ということもありお休みのお店が多く、開いてるお店へ。ハロウィン企画ということで、なぜか男どもも変身?東郷の加藤君の盛り上がりにご当地のみなさまもタジタジの状態です。その後2手に分かれました。

 軽く山形の板そばをいただきお開き。時刻は0時です。佐藤さんとタクシーにてさとや旅館へ帰宅です。

 翌朝(10/31)は、7時起床。

朝食を済ませ830分に、みやぎ仙台商工会の泉支所の事務局さんが東郷の加藤君を迎えに来ました。
この車に先導していただき石巻に向かいます。高速が渋滞とのことで下道を通り
1時間ちょっとで石巻の道の駅に到着。
 ここでは、部長の佐藤さんが支援物資を満載したハイエースで待っていてくれました。そして雄勝の高橋よりおさんも迎えに来てくれました。
 よりおさんの車に先導され雄勝に向かいます。
 途中に北上川沿いの大川小学校へ立ち寄りました。地震後校庭にて保護者の迎えを待つ間に津波に襲われ、多くの小学生の命が奪われました。

正門には献花が飾られています。


小学校の先にも多くの住宅があったそうですが、見渡す限りの野原になっています。
学校の脇には山があり、そこで待機していれば
100名もの児童の命は救われたのでしょう。想定を超える大津波であったのがうかがい知れます。
北上川の堤防も片方が決壊したのでしょう。大破する家が今も残っています。対岸は津波の被害もなく普通に生活が営まれています。

つづく

| がんばろう東日本! | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
冬物衣料等支援物資輸送報告
 今回の宮城県石巻市雄勝地区への冬物衣料等支援物資の報告です。

「冬物衣料等支援物資輸送報告」

23111

 

 今回は、冬物衣料等を宮城県石巻市雄勝地区の仮設住宅へ届けました。

今回の活動の発端は、6月に行った夏物衣料等の支援物資の輸送の際に、夏物衣料を提供していただいた方より「冬物衣料の提供出来るものがありますが集めてみえませんか?」という1本の電話からでした。 私の中では何も考えていませんでしたが、被災した地域への長期的な支援という言葉を思い出し、さっそく仙台の友人へ問い合わせてみました。

 避難所から仮設住宅に移り、それぞれ自立した再建に向けて歩みだしている中で、個々の要望も細分化してきて、何が欲しいと一概に言えない状況であることや、仮設住宅から移動の手段がなく買い物が出来ない高齢者が多いことなどの話が出ました。

高齢者向けの冬物衣料なら受け入れられると話が出ました。

だんだんと寒くなる季節、仮設住宅では完成を急ぐあまり、十分な寒さ対策がとられていないなどの報道もされていました。火災をおこすことのない安全な湯たんぽに要望があると情報も流れました。

 私が動くことに期待をしてくれている人がいる。喜んでもらえる人がいる。

「じゃー また やるかー!」と決めてからは、一気に活動を開始しました。

前回が617日の長男の誕生日に出航したので、今回は娘の誕生日(10/29)に行こうなどと思っていると、偶然にも学校行事の関係で、10/31(月)が振替休日に。おまけに太平洋フェリーが「いしかり」の就航。震災日に稼働したフェリーでした。

これは偶然ではなく必然なのだと確信しました。 

さっそく東浦の相談会のチラシを書き直し、支援要請の文章を入れました。冬物と夏物の入れ替えの時期と重なり、多くの冬物衣料が届けられました。中には衣装ケース6箱提供していただける方もみえ、チェックせずに受け入れました。その中には礼服の夏冬物とモーニングの夏冬物もありました。これには頭を悩ませました。一応積み込んで、現地の判断を伺うことで対応しよう。ダメなら持ち帰ればいいと。

冬物衣料はかさばる物が多く、点数の割には体積をとります。自宅の8畳の和室に分別しながら広げていたのですが、あまりの量の多さに途中受け入れを中断しました。布団用の圧縮袋にて仕分けた物を入れ、圧縮することで体積も1/3程度になりました。

 車に積込んでみるとまだ隙間があります。そこで2回目の阿久比の相談会では、「湯たんぽ」と「カイロ」に限定し、チラシを2万枚折り込みました。

 今度は、冬物衣料の時ほど反応は良くありませんでした。でも、家に備蓄しているカイロを提供し、新たに自分の家の備蓄分を買い直すと言って、段ボウル1箱のカイロを提供していただいた方の気持ちに救われました。

私自身を知っている方からも応援の言葉と共にいろいろな物資の提供をしていただきました。お金は赤十字などに寄付はしているけど、直接必要な方に届けてくれるのならと、ガソリン代の足しにしてと言われ、寸志としても応援をいただきました。

車一杯の荷物と想いをのせて10/29名古屋港を19時出航しました。



レストランでささやかに娘の誕生日を祝いました。

30日、1630仙台港に到着。まだ港には護岸に乗り上げられた大きな船が残っていました。でも、火花が散っています。解体作業が始まったようでした。仙台港の周りは前回よりもガレキの山が少なくなっていました。

 港から車を降ろし、仙台の友人に電話すると、愛知の東郷町から来た加藤君(現県青連理事)が私を出迎えてくれました。加藤君は私のスケジュールと合わせ地区で物資を集め同行するために飛行機で来ていたのです。

 友人と再会後、今夜お世話になる「さとや旅館」さんへ向かいました。

熱い前夜祭の始まりです。

 

つづく

| がんばろう東日本! | 07:50 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
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